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遺伝毒性発がん物質に閾値がある? 食安委・浅野哲委員に聞く

科学の進歩により、食品添加物や農薬の遺伝毒性について、より詳細なリスク評価ができるようになっています。遺伝毒性物質の閾値についても議論されているようで、「遺伝毒性物質にも閾値が設定できる」という話も耳にします。これまで、遺伝毒性のある食品添加物や農薬が市場に出回ることはありませんでしたが、今後は流通する可能性があるのでしょうか。毒性に詳しい食品安全委員会の浅野哲委員に、遺伝毒性の試験方法やリスク評価手法を解説していただきました。

遺伝毒性についてわかりやすく解説する食品安全委員会の浅野哲委員。リスクコミュニケーションにも力を入れている(10月20日、食品安全委員会にて)

――遺伝毒性とは?

色々な定義がありますが、物質もしくはその代謝物がDNA(遺伝子)に直接作用して、DNAの損傷を引き起こすものが遺伝毒性物質とされています。例えば1分子の遺伝子が傷つけられると、がん化の引き金になります。通常、細胞が次の世代に分裂するときには、同じ情報がそのまま新しい細胞に受け継がれますが、遺伝子に傷がついてしまうと異常な情報が次の世代に移行してしまう。それががんの始まりです。

もちろん、体には修復機能が備わっているため、遺伝子の変化が起こった段階ですぐに修復されます。若者にがん患者が少ないのは、免疫機能がすぐに異常な細胞を排除するからです。ところが、高齢化してくると修復機能が衰えていきます。日本は超高齢社会であり、がんで亡くなる方の割合は増えています。遺伝毒性は遺伝子を傷つけるため、がんの始まりといえます。

――閾値とは?

化学物質の毒性が、ある投与量以上で発現するときの値を閾値と呼んでいます。一般的な化学物質の毒性の場合、閾値があり、毒性が出ない領域があります。例えば農薬は人に影響の出ないレベルで使うことになっていて、食卓に上る段階では、ほぼ検出できないレベルになります。厚生労働省や農林水産省が基準値を設けていて、たとえ基準値を超えたとしても毒性が出る用量からはかなりかけ離れたものになっているため、使用状況としては安全といえます。

――遺伝毒性に閾値はあるのでしょうか?

遺伝毒性試験は、食品添加物や農薬のリスク評価において、専門家が最も重視する試験項目の一つです。復帰突然変異試験、染色体異常試験、小核試験の三つをセットして総合的に評価し、毒性の有無を判断しています。

復帰突然変異試験はサルモネラ菌を用いる試験方法で、遺伝子を傷つけるかどうかを一番単純に、そしていち早く見つけることができます。この試験で陽性となった場合、遺伝毒性がある可能性が高いと判断されます。

一方、染色体異常試験と小核試験は、仮に陽性であったとしても毒性の発現に閾値があるケースがまれにあります。染色体異常試験で用いる染色体はDNAとタンパク質の複合体、小核試験で用いる核は染色体に加えて核膜などが入っていて、DNA以外の要素が含まれています。これがやっかいなところで、DNAそのものではなくタンパク質などに影響して異常が現れた可能性が否定できません。このような場合でも、専門家が各種の試験結果を踏まえてDNAへの影響を総合的に判断し、DNAを直接的に傷つけるものでなければ人体に影響を及ぼす遺伝毒性はないという判断になります。

復帰突然変異試験、染色体異常試験、小核試験の結果を総合的に評価した結果、遺伝毒性がないと判断した場合には、たとえ発がん物質であったとしても、がんの発現には閾値があると考え、食品安全委員会では「非遺伝毒性発がん物質」(遺伝毒性物質ではない発がん物質)と評価し、遺伝毒性の範疇に入れていません。「遺伝毒性物質にも閾値がある」という議論は遺伝毒性試験におけるかなり専門的な話ですから、消費者の皆さんは「遺伝毒性物質と判断された物質には閾値がない」とすぐに結び付けてください。遺伝毒性にも閾値があるという誤解が独り歩きするのは怖いと感じます。

遺伝毒性のある食品添加物や農薬が市場に出回ることはありませんが、環境中には1,2-ジクロロエタンやベンゼンといった遺伝毒性物質が存在し、曝露する可能性があります。これらの物質に対してはVSD(仮想安全用量)を算定し、対策が講じられています。ベンゼンは遺伝毒性物質であり、本来なら摂取してはならないものですが、土壌や大気、水などを通してどうしても摂取してしまう可能性があります。1分子でもがん化のリスクがあるため無毒性量が決められませんから、遺伝毒性発がん物質として評価した場合には10万分の1、100万分の1という、ものすごい倍数をかけてVSDを算定しています。

なお、閾値についての説明の際、毒性が発現しない領域があると話しましたが、口から摂取する食品添加物や農薬については、一生涯にわたって毎日食べ続けても健康への悪影響がないレベルとして「ADI」(許容一日摂取量)が、もともと経口摂取が想定されない環境中にある汚染物質などはTDI(耐用一日摂取量)が同様に設定され、これらに基づいて食品の安全が管理されています。

(2021年10月20日取材、食品安全委員会にて)

(本記事は本紙11月1日号「ここが知りたい!!くらしの疑問」欄の取材をWEB用にインタビュー形式で編集したもの)

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